人間関係はきっと無条件の方がいい

人生は条件付のモノゴトで溢れているように感じます。

・テストで100点取れたからお小遣いをもらえた
・3年連続目標を達成したからマネージャーに昇進できた
・自分のことを認めてくれる人が好き

モノを買ったりサービスを受けられるのも決められたお金を支払ってくれたからできるわけであり、何でも条件を付けて判断したり考えることは当然のことすぎて何ら疑う余地はないでしょう。

モノやサービスの売買においては、条件設定は必要でしょう。また仕事においての契約や雇用に関しても条件がないと運用が困難だと思います。

しかし人間関係においては、何でもかんでも条件付で考えてしまうことが、難しさを作り出してるように思います。

例えば、パートナーとの仲が険悪な場合は、まずパートナーが自分の非を認めない限り仲直りしたくないと思うことが私自身もよくあります。

自分から非を認めるのは、何か負けたような気がしたり、ものすごく損をするような感じがします。そこで「相手が先に非を認めるのなら許してあげる」という条件を持ち出ししたくなるわけです。

他にも子供に対して、自分の期待する行動をしたら褒めてあげて、自分の意にそぐわない行動をしたらイラッとしてしまうということもよくあります。こちらも同じく完全に条件付の考え方です。

我ながら書いていてなんて自分勝手なのだろうと悲しくなりますが紛れもない事実です。

ここで重要なのは、自分自身が設定している条件というものはその時の気分や関係性によって大きく移ろいゆくような極めて怪しいものだということです。

こんな怪しい条件をすべての人間関係に持ち込むとどうなるか。そんな条件が叶うことはほとんどなく、常に不満を抱えながら人と関わっていくしかないように思えます。

人間関係において、無意識に染み付いてしまっている条件付の思考を今後も採用し不要な苦しみを抱え続けたいのか、それとも条件を手放して他者と関わりたいのか。おそらくですが後者の方に希望があるのではないかと思います。

この構造に気づいて以来、とても難しいとは思いながらですが、なるべく人間関係においては「無条件」で関わることを意識するようにしており、より他者とのつながりや平穏な心を実感しやすくなった手応えを感じています。

信頼、感謝、愛など、他者や自己に向けられる営みの数々は本当は無条件で為されるべきものだったのではないかとさえ感じます。

もし人間関係に不安や難しさを感じてる場合は、条件を完全になくすことは難しいと思いますが、「無条件」の営みを増やしてみてほしいです!きっと違う景色が見えてくると思います。

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